2024年10月9日水曜日

日本保守党は、消費税減税一本で

 日本保守党の衆議院選挙への名乗り

始まりました

マスコミに足を引っ張れれるので

ここは、一本、消費税減税、国債発行の一点突破

をお願いしたい



2024年9月19日木曜日

日本 女性初の宰相か

 耳を傾けるべき、内容がとても緻密ですね



現実になると日本が変わるかもしれない


2024年9月15日日曜日

自由民主党 総裁選挙 闇

 闇が深そうですね



マスコミの立つべき姿が問われるのしょう



2024年9月14日土曜日

2024年 自由民主党 総裁選


2024年 自由民主党 総裁選

広く知られてほしいが、いろいろな思いを致すところです





社会の裏側ものぞいてみましょう


2022年12月29日木曜日

665回 予算114兆円!国債3割!日経の記事に騙されるな



高橋洋一さんの解説は

いつ聞いていてもわかりやすいですね

これは広く国民に知られる真実だと思います。




2022年11月21日月曜日

30年の時を過ごす

 近年、ジャパニーズウイスキーの人気は多くの人々の知るところとなり

おいそれと口にすることが出来なくなりつつありますね。


数年前山崎蒸留所にて口にした芳醇なかほりのするウイスキーの

記憶も遠い昔になりつつある



その際に口にした30年の時を過ごした一品は

生涯において二度とない経験となるのであろう

良い時代に生まれ、過ごすことが出来たものだ。






2018年8月3日金曜日

親父が飲んでいた頃のウイスキー


サントリーオールド 特級

サントリーオールド


1980年代の物らしいオールドを手に入れました。

なくなった親父が晩酌でチビチビ飲んでいたことを思い出す、

当時の私は、その晩酌のつまみに興味があり

ウイスキーのボトルの特徴だけおぼえていたもので

サントリーオールド

これが販売されていた頃は学生だったかもしれません

よき古き記憶と共に乾杯。








2016年1月30日土曜日

ゴルフクラブを買いにゆく

社会人になって一年ぐらいが過ぎたある日、


何を思ったのかゴルフクラブを一式そろえることとなった


地元の量販店で試打もせず、ドライバーとフェアウェイウッドは


キャロウェイのビックバーサ。


アイアンセットはタイトリストのDCI PRO


シャフトがカーボンで金額も今から思えば高かったが


店頭に在庫がなくて取り寄せた。


キャディーバックもタイトリストのバッファロー革風の黒白の


モデル、パターもタイトリストのブロンズヘッドのキャメロン以前の


モデルをチョイス


完全に雑誌で見たことがあるのはこれだ、的なチョイスで


このスペックを7年ぐらい使ったのを覚えている。


アイアンはロストワックスのSUSでレスオフセットのモデルがPRO


ややオフセットが付いたモデルがDCIの純正


選んだ基準はPROと銘打っていたから、


よく考えたら難しいアイアンだったのかもしれないが


バックフェイスのデザインは逸品でしたなー


DCI pro



キャロウェイのドライバーはその後チタンのモデルが出てきて


グレートビックバーサ、ビゲストビックバーサと


なっていく、今はドラコン選手の小達が使っていたのを


雑誌でみてこれだーと思い使っていた記憶がよみがえる









2015年5月19日火曜日

突然の代役

初ゴルフラウンドの記憶


社会人になって、まもなくは

いろんなことが目新しくまた戸惑うことも

多かったが

そんなある日、他部署の先輩から

自分の代わりにゴルフに行ってくれないか

との話があった


ゴルフなんて練習場で一二度

それも中学生のころの記憶


ゴルフクラブは


道具は親父の借りて

行きましたが、空振りもいれて126点

記憶に残ってますね



クラブは本間の薄っぺらいアイアンで

記憶ではホンマFEマッスルアイアン

純正のスチールシャフト


ドライバーの大きさはもしかすると

今現在のFWのほうが大きいかも

という代物だった

もちろんパーシモンのヘッド


シューズはもちろん革製のもので

鉄の鋲が片足に11個ついたやつ


ボールは糸巻だったかも






こんなことがあって今のゴルフ人生

がはじまったのかとしみじみ思いだす




その他部署の先輩の急に入った

予定は後で聞いたのだが おねーちゃん と

デートしてたらしい

その方は今は会社の役員をなさって

おられるそうです 流石です







2015年5月1日金曜日

社会人になって




社会人編を書くにあたり

ブログの引っ越しをしました

筆者が大学生の頃、テレビドラマが盛んで

スーツ姿のサラリーマンが夜な夜なトレンディー女優と

おしゃれなスポットでデートする様子が多く放映されていた

浅はかな筆者は、よしこんな感じやと

商社に入社するのである



クリスマスパーティー



一度テニスサークル主催で、クリスマスパーティーを

催したことがあった。


ミナミの、会場は忘れたが30人ぐらいで

自分たちで司会進行し、プレゼントを交換

ケーキもなんだかデカかった思い出である。

しかし、そのような

イベントの際には得意、不得意があり

自分が何を準備したのか記憶があいまい

である。




まあたぶんいつものように

ぼやぼやしている自分が

そこにいたのだろう。





なんと幸せな大学生活であったことか。




そんな感じや



スポーツ用品のメーカー派遣アルバイトをしていた

おかげで、ウインタースポーツのウエアなども

安く買うことができた。

当時は私をスキーに連れてってが

流行っていたころである、



ということで、テニスサークルは

冬はスキーサークルと化した。

だが、私はスキーなどしたことがなかったのである

とりあえず板はレンタルで

友人たちに連れて行かれた琵琶湖近辺の

スキー場、初スキーなのだがレッスンを

受けることもなく



初心者コースで上まで連れて行かれ

何度もコケながらやっと下まで・・・・





友人たちは言ったのである、そんな感じや~




夕方帰るまで友人には一度もコースで

逢うこともなく、もくもくとコケながら

雪と格闘していた私がいた。




おもろかったやろー・・・・・・



と言う友人たちと下宿に帰るまで

お前らなー・・・・・とすねている私

いい思い出である









たこやき



ある年、テニスサークルで大学祭に模擬店を出店

することとなった、

学園祭の期間中に屋台で、たこ焼きを

販売するのだ。

関西の方は実際に

自宅でたこ焼きを焼くというのを

の時はじめて知ったのだが

筆者はそんなことしたことがなく

いつものように、何を準備して何を

したらいいのか・・・



誰が言い出したのか、先にチケットを

作って販売しようと、そうするとどれくらいの

個数を作ればいいのかが分かるので

採算性がよいなどと言い出した、

いま思えばなるほどプリペイド制で

なかないい企画であった。


しかし



これからがいけない・・・・

数の予測が大幅にちがいだして、”タコ” が足らないって

友人がいそいで買い出しにいく羽目に。

当日チケットを他の女子大の美人2人組みが

手伝いに来てくれ販売したのだ

チケットがみるみる売れて行く様を

ニヤけて見ていたのは



同じようにチケット販売する役回りの

スーツを着こみ、まるでナンパをしているような姿の

弁当屋でおかずをサービスしてもらえる例の



男前の彼と、筆者であった。













秋の実り



下宿の隣の部屋に農学部の同級生がいた

卒業論文を書くのに実際に農作物を栽培

してそのデーターを基に作成するのだと

言っていた。

気温や雨量などが気になるらしく

台風など気候変動に左右されるので

大変そうであった。

しかし元来やさしく人当りいい彼は

おでんをつくったんや、食うかなどと

いろいろ付き合ってくれたことを

思い出す。

法学部の私の卒業論文は

賃貸借契約における無断譲渡と解除に

ついて・・・・・

などと判例を基に書いていくようなもので

有名人になったとき

コピペを指摘されると大変かも・・・

台風が来ると思い出す隣の友人のおでん。

だが彼が何を栽培していたのかは思い出せない。
















戎橋

戎橋界隈にあるスポーツショップでアルバイト

をしたことがありました。

陸上競技をしてきたわたしには

とても趣のある商品がいっぱいあり

ジャージ、ウエア、などの販売、在庫

管理の仕事でした。




メーカーのアルバイトでしたので

そのメーカーの商品は社員価格で譲ってもらうことが

出来たのでスキーウエアの最新型など

を入手し、とてもうれしいアルバイトでした。

その年は在阪の球団が優勝し

街のにぎわう中、ビルの窓からその

光景を眺めていたとき、あの戎橋から



道頓堀に飛び込む人たちを目撃した


思い出が・・・





グリコの看板がかけ替えられるたびに


思い出すのでしょう。














ストリートビュー




寮の近くに喫茶店があった。

コーヒーをサイフォンで入れており

いい香りが漂うおしゃれな喫茶店だ

もちろん軽食もメニューにあり

スパゲッティーや焼き飯

ハンバーグなどなど

私の今でも好きなメニュー達である。

何の拍子か3回生のころ、この店で

アルバイトをすることとなるのである。

友人と2人、ママさんに教えてもらい

中華鍋を使い焼き飯を作り

サイフォンを使いコーヒーを・・・



友人は洗い物のほうが楽だといい

なぜか私が調理場に立つことが多かった。

もちろん賄いでごはんにありつけるので

大変助かったのである、

そんな記憶がストリートビューの画面の

なかに、店のたたずまいがあの頃の

コーヒーの香りを

よみがえらせるのである。











ジャパン




京都の北西部、日本海を望み

天橋立に数名で小旅行した。

景観の美しさは素晴らしかった

展望できるところで、またの下から

逆さに見ると本当に天の架け橋の様だった。

また、友人の郷里の網野を訪ね琴引浜という

砂の綺麗な浜辺に案内してもらった、

歩くと砂が擦れ合い、くっくっと音がするのだ

今もなっているのか素晴らしい自然である。

道中は友人の家の車で、マニュアルミッション

これまた、私が運転するとギクシャク

当時は運転技術の未熟な私は、後部座席が

お似合いで、素晴らしいシルバーカラーの

スカイラインジャパンは颯爽と国道を

駆け向けてゆくのであった。

また、豊岡も友人宅を訪ね、経営する

ボーリング場にも案内してもらった。

あの美しい自然のたたずまい達は

今もその姿をとどめているのであろう

遠い記憶の中にも。





太平洋の大海原




友人が帰省するのに合わせて

郷里にお邪魔する機会があり

これまでに経験したことの

ない出来事があった。

太平洋を船で渡る、と・・・

行っても大阪から高知にフェリー

でした、夜に出かけて朝には

着くよ、と友人の言葉をうんうん

と適当にきいて、おのぼりさん状態で

大阪南港を出発した。

こんなに揺れるものなのか、思った

時すでに遅し、立っていても横になっても

身の置き所がない、風に当たっても

体の異変が静まらない、ふらふらの

状態で朝を無事迎えることとなる。


到着した友人宅ではありがたい歓迎を受け

朝からビールをごちそうになり、

またもや撃沈。

高知城や、はりまや橋を訪ねて

横波黒潮ラインをドライブ

楽しいひと時を過ごせた思い出。



しかし長い船旅をしていた幕末の

志士たちを想像すると・・・

いやーすごかったんやなー

となるのである。

お弁当やさん




大学生のころ、外食で今のように

持ち帰りのお弁当やさんがあり、

よく食したものだが、ある日

友人が面白いことを言い出したので

一度試したことがあります。

友人の言うには、かっこいい

お客には鳥の空揚げが1つ多い

などということで、じゃあ

それぞれ順番に買いに行ってみよう

と、かっこいいもう一人の友人を

呼び出し一番にいかせ、それから

順番に・・・・

そんな暇があったら勉強しろと

今から思えば自分たちに問いかけ

たいですが。

そのかっこいい友人はそのかっこよさ

から、みんなに突っ込まれるボケ役に

回ることの多い奴ですが今も大阪で仕事

してます。

今度あったらまたどこかの

お弁当屋さんで、・・・・

坂道発進




友人がアルバイトをしてバイクを買った

彼はそのバイクにまたがり北海道の

大地へと旅に出かけた。

いろんな出会いがあり、知り合い

もできて、とても有意義だった

みたいだ。

その友人が北海道で知り合った

2人組の女性が、大阪に遊びに

来ることとなり、友人と神戸を

案内する計画を立てた。

異人館に行き、お昼ご飯はどこで

食べるか、どうやって行く?

友人はレンタカーを借りようと、

スターレットだった、当時は一番安い

マニュアルミッションで颯爽にドライブと

いう計画だ。

なぜか私が運転し、新神戸の駅前

おしゃれな坂の街並みに沿って

・・・・


案の定、坂道でエンスト、

若葉マークのありがちな行動で

エンジン全開で前に進めず

ブーンブーン 音だけが勇ましい

多くの観光客に注目され

神戸での恥ずかしい思い出となる

のであった。